わたしと万博(41)…ゾウのゆくえが気になる

画像
1970年、夏のある日の正午過ぎ、北千里駅前をゾウの群れが通過していった。お祭り広場でのタイ国のナショナルデー(8/12)イベントに出演するため、タイから荷積みされ神戸港に着いたゾウ20頭(+1頭)が陸路万博会場まで行進して行ったのだ。(+1頭)というのは、船中で1頭生まれたから…そのことも含め新聞記事で読んで北千里まで見に行ったと、この写真を撮ったAさんは証言する。

当時11歳だった僕は(すぐ近くに住んでいたのに)この「事件」を記憶していない。知らなかったのか、知っていたけど「ゾウなんて子供っぽい…」と無視したのか、行ったのに覚えていないのか、そのことも覚えていない。(もしかしたらこの写真に写っているのかも…?)

それからどうもこの「見逃した」?ゾウのことが気になる。ゾウは長寿だからそのとき生まれた子ゾウは今も生きているのではないか?
画像
ネットで調べたり、池田の万博ミュージアムにお邪魔したときに話すと、「万博グーグル」のシライさんはパッパッパッと新聞スクラップを出してくださった。イベントは8/12の1日だけではなく、8/12から8/20まで「象まつり」という夏休みの目玉イベントだったようだ。この記事で、神戸港発は8/3、武庫川で宿泊して、万博会場着が8/4だったことが判明した。1970/8/4は火曜日。やはり、Aさんの写真に「大人の男性」が写っていないわけだ。

ネット上のあるサイトでは、子ゾウだけは空輸されて伊丹で下りたとも書いてあった。(ネット上の情報は全て真実とは限らないからあちこち参照して「事実」を合成すると間違うことがある。)…子ゾウの空輸が事実なら、石橋あたりで神戸港からのゾウと大合流したのだろうか?
画像
「象まつり」の最中、8/16にはもう一頭、万博会場近くの宿泊地で子ゾウが生まれていた。お祭り広場にちなんで「HIROBA」と名づけたらしい。Aさんが見た「船中で生まれた1頭」とはまた違うのか?タイで船積みしたのは20頭だとどこかに書いてあったので、船中で1頭、千里で1頭生まれて最終的には22頭になったのか?そんなに妊婦のゾウばかり長旅をさせて異国で芸当をさせるとは、いったいどういう興業集団なのか?タイ国を代表して派遣したのなら、そこらへんのゾウを適当にかき集めた部隊ではなかったはずではないか?芸も教えるわけだから「ボリショイ・バレエ団」ぐらいのステータスはあったのではないか?

「象まつり」のイベントには毎日放送が協賛していたこともわかった。(ずいぶんハードメニューだった。)
画像
8/4に到着してから8/20の「象まつり」終了まで、最低2週間は会場周辺にいたはずのゾウがどこにいたのか?この場所がわかれば…と思っていたところ、山田にお住まいの野口昭雄さんから「吹田のアルバム展」でこんな写真をご提供いただいた。まさに千里の竹林+ゾウ!現在の大阪モノレールの車庫のあたりだったようだ。すり鉢状になっている地形は今もなんとなく面影がある。

お祭り広場の運営ディレクターだった伊吹さんのお話では、ゾウ20頭あまりに蛇口が1つしかなく、乾いたゾウが会場で池に突進したり、隣りの竹林を食べ始めてしまうといったハプニングもあったようだ…。

当時のタイで、ゾウは建設重機の役割をしていたから、土木業者のツテでゾウを集めたのだ…という話も出てきた。あるいは機械化でリストラしたゾウを芸能集団として再生したのか?…「ボリショイ・バレエ」とずいぶん違うなあ…。
画像
「象まつり」終了後、ゾウたちはタイに帰ったのか?またあるサイトによれば、子ゾウ何頭かは日本に残されたという記事もあった。引き取り手も見つからないまま…千里生まれのHIROBAは日本に残されたのか?

その後「万博展」の準備が忙しくなってゾウのゆくえ探しもできないでいたが、シライさんからマニアエキスポ用にスクラップを再発掘していたら、「その後のHIROBA」に関する記事が出てきた!と知らせていただいた。おお!HIROBAはタイに帰っていた。バンコクの「アマリン・ホテル」に引き取られたとある。名前がわかれば検索できる。すると…アマリン・ホテルはずいぶん前になくなったようだ。「松田嘉久社長」と記事にあるように、日本人系列で、日本人が多く利用するホテルだったようだが…現在の「バンコクそごう」がある場所にあったらしい。かなりの一等地だ。

さあ!HIROBAはどこへ!?
どなたか「アマリン・ホテル」等に関する情報をお持ちの方はお知らせください!


(ブログのネットワークでHIROBA探しができたら面白いと思っているokkun)

"わたしと万博(41)…ゾウのゆくえが気になる" へのコメントを書く

お名前
メールアドレス
ホームページアドレス
コメント