講演「東アジア瓦の歴史」

10月4日(土)13時からの開会式につづいて14時から帝塚山大学附属博物館館長の清水昭博さんの講演がありました。
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講演の内容は「瓦の歴史」なかでも 軒平瓦(のき ひらがわら)と軒丸瓦(のき まるがわら)の歴史。
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瓦は3000年前の中国ではじまった。はじめは平瓦ばかりで瓦の間からの雨漏りを防ぐため瓦の間の隙間に平瓦を反対に置いていた。それでは多くの材料が必要となるため、紀元前1000年ころ西周の時代に丸瓦が作られた。
江戸時代に丸瓦と平瓦を一枚にした桟(さん)瓦が作られ今日に至る。
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軒部分の瓦の形は紀元前は半円形だった。紀元前から後にかけて軒部分が丸瓦になった。そこのデザインが時代によって流行が変わっていった。
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漢の時代には漢字がデザインされていた。6世紀、南北朝時代に中国に仏教が入ってくるとロータス(蓮)のデザインになり、その後動物(龍)も出てきた。しかし朝鮮半島にはロータス(ハス)模様のみ伝わった。しかし高句麗、新羅、百済で異なる進化をしている。
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その後当然日本にもハスのデザインが伝わった。538年仏教が日本に伝わり、50年後の588年に日本で最初に作られた飛鳥寺にある平隆寺の瓦は百済から来た技術者(瓦博士)4人が飛鳥で作ったとのこと。
(ちなみに、その後660年に百済は(唐と新羅連合軍に大敗し)滅びたため百済からの大量移民が日本に来たと思われる。その中に瓦職人も大勢いたことが考えられる。)
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ハスの花びら(花弁)の形が時代とともに単なる花びら=素弁・単弁=から(ひとつの花びらに二つの花びらが入るなど)複雑に=複弁=なっていき、平安時代からは、周囲にポツポツした点が連続する朱文(しゅもん)が現れてきた。(朝鮮では671年からの統一新羅の丸瓦に見られる。)
(複弁ができる頃百済が滅びた。複弁を作ってた職人が移民してきて、飛鳥で複葉の丸瓦を作ったのではないだろうかと演者の清水さんは考えているそうです)
ロータスのデザインは鎌倉時代になると巴(ともえ)のデザインになり、大仏殿では漢字で「東大寺大仏殿」と銘文が刻まれている。←展示室で確認してください。

以上、たかが瓦、されど瓦といった講演会でした。

(おーぼら)  思い違い、誤解による誤記があればお知らせください。

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