団地のドアは国電生まれだった!(最終日発掘話)

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「ニュータウン半世紀展~千里発・DREAM」は11月25日(日)で終わりましたが、最終日、びっくりするような話が出てきました。最後のお客様は東大阪にある鉄道車両メーカーの大手、近畿車両にお勤めだった方。この方が「団地のドアは一時期うちが全体の8割ぐらい作ってました」と貴重な証言をしてくださいました!

同じ型の大量のドアを同時に制作できる会社は当時なく、鉄道車両の大手だった近畿車両に話が来たとのこと。たしかに…鉄道車両って、「走る建築」ですからね。当時の国電の写真を見ると、(「プレスドア」というのですが)角丸の形に凹凸をつけて強度を持たせる設計は団地のドアそっくりです(引き戸とドアの違いはありますが…)。今のマンションのドアはもっと軽くできていますが、当時のドアは鉄のカタマリでとっても重いです。
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今回、展示のセクション扉や図録の裏表紙にも使われた「5色の団地の扉」は、千里ニュータウン最初の公社住宅であった佐竹台の「千里丘陵団地」の扉が、階ごとに5色に塗り分けられていたものをとりいれています。住宅をマスで供給するにあたって、単調さを和らげ(自分の家を間違えないように…という実用価値もあり?)、少しでもマイホームな個性を出そうとした工夫はDREAMだなあと…これはたぶんコルビジェの有名な集合住宅であるユニテ・ダビタシオンのパクリなのですが…やがてこのアイデアはやはりメンテが面倒だったのか、後続の団地では同じ色になっていくのですが…ドアひとつとっても、発掘するといろんな物語が出てきます。
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最終日の閉館時間、17:15には、市民委員がロビーに並んで最後のお客様を送り出しました。

(by okkun)

この記事へのコメント

てつ
2012年11月28日 04:31
よくよく考えたら、その話は何度かいろんなところで聞いたことがあります。約二十年ほど鋼製建具の営業をしてたんで、得意先の社長には千里ニュータウンの団地の設計に関わり独立した方々も多くよくそんな話は聞いてたんだけど、当時そんなに興味なくて聞き流してたんで勿体ないことしたなぁ~きんしゃも何度もいきましたょ(^^)