EXPO‘70「万国博を考える会議事録」幻の資料発見: 小松左京写真展で展示されます!

画像昨年、7月26日(火)に亡くなった小松左京の写真展開催に伴い、保存されていた資料を調査した結果、これまで存在が確認されていなかった、1970年の大阪万博の理念を構築し、岡本太郎氏の大阪万博の展示プロデューサー就任のきっかっけともなった、「万国博を考える会」の関連資料が大量に発見されました。

「万国博を考える会」は、日本の文化人類学のパイオニアである梅棹忠夫氏や、メディア論や社会論などで多くの実績を残す加藤秀俊氏、作家デビュー間もない小松左京など、当時新進気鋭であった知識人達により1964年の夏に発足した、言わば知的ボランティア集団であり、国や大阪府、大阪市、博覧会事務局などの依頼ではなく、自発的に、万博の歴史、問題点、あるべき姿などを詳細に検討し、ついには、EXPO‘70大阪万博の実際の理念を構築し、日本史上最大の国家イベントを動かしました。

また、創立メンバーの一人であった、小松左京の代表作である「日本沈没」にも大きな影響を与えています。
昭和史を彩る大阪万博の一級資料であるとともに、国家プロジェクトとそれを有効に導く知的ブレインのあり方を考える際の貴重な材料といえます。

<万国博を考える会>
1964年7月に結成された会。
創立メンバーには、梅棹忠夫氏、加藤秀俊氏、小松左京などがおり、その後、漫画家の手塚治虫氏、SF作家の星新一氏、芸術家の岡本太郎氏なども参加しました。

国や大阪府、大阪市、商工会議所、後に設立する万博協会からも全く独立した集団であり、大阪での万博開催が不透明な頃から、会の名にある通り、多角的に万博のあり方を検討し続けました。

最終的には、万博プロジェクト本体とも深く係わり、1965年11月パリで開かれる万国博国際理事会に提出しなければならないテーマと基本理念に関しては、「万国博を考える会」での研究の蓄積を基に、梅棹氏を中心とするメンバーが泊まり込みで草案をまとめました。

小松左京はこの時の様子を自著の中で次のように述べています。
『今は、とにかくスピードが要求されている時だった。そして、わずか二カ月たらずで、テーマと基本理念をこしらえるという「突貫作業」は私たちが一年半もの間、知る人に「お先っぱしり」と冷やかされながらつづけてきた研究の蓄積をフルに利用することによって、可能になったといえるだろう』
*『巨大プロジェクト動く―私の「万博・花博顛末記」』(廣済堂)より

<発見経緯>
吹田市立博物館で3月17日から開催予定の「小松左京写真展」で展示するために、小松と吹田に関わる写真や資料を探す中で、小松の自宅の書庫の2階にあった様々な資料を入れた段ボール箱から未整理の状態で見つかりました。

<日本沈没との関連>
小松左京の「日本沈没」では、日本列島の地下深くで進行している巨大地殻変動の兆候をいち早くキャッチした田所博士を中心とした有志が、政府が動くまでに、様々な調査、検討を独自に重ね、実際の日本人脱出計画のマスタープランを構築してゆきます。

厳選されたブレインが箱根の屋敷にこもり、徹夜の連続で日本沈没後の日本人のあり方を練り上げる様子は、「万国博を考える会」のメンバーが、パリでひらかれる万国博国際理事会に提出するため、大阪万博の基本理念の草案を泊りこみで作成しつづけた姿と重なります。

小松本人も著書「SF魂」(新潮新書)の中で、
  『あれだけの国家的イベントの建設作業に関わることができたのは、貴重な体験だったと思っている。
官僚組織や国家機構を内部から見た経験は、結果的には「日本沈没」執筆の際にも活かされている』

 と述べています。

<「万国博を考える会」資料展示予定>
資料の現物は、下記期間、70年万博に関連深い貴重な資料として、吹田市立博物館にて、展示されます。
『小松左京写真展 宇宙に翔く夢』開催期間
平成24年(2012年)3月17日(曜)~4月22日(曜)


(株式会社イオ(小松左京事務所) 乙部順子)


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       2003年10月 久々に太陽の塔の内部を見学する

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