万博公園の自然の変化(作られた森の行方) 10/7/17

昨年2010年7月18日から始まった夏期特別展開会式直後のシンポジウムの基調講演です。抄録の完成に一年もかかってしまいました。(おーぼら)

〈基調講演〉
開会式につづいてシンポジウム「万博公園の自然の変化(作られた森の行方)」がありました。造園家で元鳥取環境大学教授の吉村元男さんが基調講演をしました。画像
万博公園が目指したもの。
千里という地名/自治体は存在しません。しかし40年前には万博を通じて千里丘陵は文化・経済・産業などの情報の世界への発信基地になったのでした。その跡地にみんぱくができ多くの学者とその人脈が生まれ、万博公園には文化と自然ができてきたのです。

今から思っても万博の森は奇跡の森です。大阪は当時から東京都に負けてばかりだったので跡地を建築物で埋めつくそうという案もありました。しかし公害の時代だったので「緑に戻していこう」ということになり、私が基本設計に関わるようになりました。開発志向型の時代に森を作るということはたいへんな作業だったのです。

万博公園は都市計画公園なので本来は建設省の管轄です。建設省には「公園には水辺や森は絶対に作らせない」という基本方針がありました。森を作れば見通しが悪くなり、チカンが出る。水辺があれば事故がおきる。それは自治体の責任になる。だから必ず柵をつくらないと許可は出なかったのです。都市計画公園の厳然たるおきてでした。しかし万博公園には森があり柵のない池があります。こんなことがなぜ万博で可能だったのでしょうか
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6400万人を集めた大阪万博では(当時の金で)230億円のもうけがありまた。その金は「大蔵省に入り、しかも一般会計には入らなかった」という幸運があったのです。公園の基本設計に関わった私たちは予算折衝で大蔵省と交渉してたのです。建設省が相手だったら決していまの万博公園はできていなかったでしょう。(建設省関連の法律を知らない大蔵省の役人をだましだまし)交渉した結果、思いどおりの基本設計ができたのです。
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万博のパビリオンは撤去され日本庭園以外は更地・裸地になりました。余談ですが裸地にする際、太陽の塔を新大阪駅前に持っていくという案もありました。当時は生物多様性ということばはなかった時代。裸地から森を作るというまったく未経験のことを始めたのでした。試行錯誤でこんにちの森ができてきたのです。

森づくり
平坦な会場敷地をお皿のように周囲が高くなるように周辺にパビリオンを埋めて土を盛って森を作ったのです。
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森づくりの委託要件は「2001年に森を熟成させてほしい」というものでした。「なぜ30年という短期間で作らなければいけないのか」と梅棹忠雄さんに相談に行きました。梅棹さんは「人工的な環境である都市が猛烈な速さで大きくなっている。じつに早すぎます。森づくりに100年もかかっていては話にならない。促成栽培で30年で森を作りなさい」と言われたのでした。

さて木を植えるにあたってその植え方も前例はなく、はじめての経験だったのでどのようにしたらいいのか、手探り状態でした。私は林学を学んできました。林学の中心を占める林業は、「伐られる森を作る」学問であって、森林生態学という学問はなかった時代でした。つまり「伐られない森の作り方」という教科書はなかったのです。私なりに植え方を決め、30年後の予測をしましたが、植えた木のほとんどが枯れてしまったりして、予測はほとんどはずれました。
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30年は短すぎるので100年計画で30年を再生の前期、70年までを再生中期とし、30年経過した2001年に100年目の2070年にむけて森の管理プログラムの委託を受けました。植樹はグリッド(格子に)状に植えていくので1985年の写真ではまだグリッドが見えます。98年にははっきりとした森ができてきました。
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森の作り方
基本計画で森は密生林、疎生林、散開林という三つの設計/設定で作られています。生物多様性という言葉がなかった時代でしたが、この三つの設定は生物多様性の面からも重要な考え方でした。当時は大気汚染がひどかったので外側にキョウチクトウなど高速道路の排ガスに強い密生林を設け三つの森は敷地の外側から内側に向かって密生、疎生、散開林として中心を芝生にしました。
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密生林:じめじめした暗い森。
疎生林:落葉樹を主とした明るい森です。
散開林:草原の中に木がポツポツと木がある。
その三つの森にみち、みどり、みずという三つの「み」がからみ合う森を考えました。道は上ツ道(かみつみち)、中ツ道(なかつみち)、下ツ道(しもつみち)をつくり、さらにこまかい道を配置して森に親しみを持ってもらえるように考えたのです。

滝や池、川を配置して建設省なら絶対に許可しない森ができました。森の中に水路を巡らせ湿り気を与える目的があります。池の柵は水中に設置しています。ソ連館跡地には鳥に配慮して「一定の場所からしか水面に近づくことができない」という都市公園ではありえない、生物の多様性を復元する前代未聞の池もできました。結果としてその近くにオオタカがやってきたのです。
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しかし水辺と森だけでは多様性は確保できません。草原、はらっぱなどの組み合わせも必要で、昆虫をいかに繁殖させるかが大きな課題となってきました。

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4つの自然が必要
そこで生物多様性のための行動軸と人の介在という2つの軸と森林・風景・生息・管理という4つの区の設定を考えました。
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このような方針で2030年、そして100年目の2070年に向けて動きはじめています。
2001年の記念事業として木のぼりタワーと空中回廊(ソラード)を宝くじのお金で作りました。マレーシアのランビル国立公園にある地上30mの回廊をヒントにしました。ソラードの高さは10~15mのものですが森の新しい楽しみ方を提供しています。
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100年目、2070年の万博公園の森のありかたとしてつぎの5項目を考えています。
1)野生の森(生物多様性の森、生態系の森)
2)ミュージアムとしての森(過去のパビリオンを思い出す)
3)間伐する森(若返る森 持続する森 CO2吸収の森)
4)生命の森(癒し、レクリエーション))
5)環境学習の場としての森
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(おーぼら)

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