遠くへ行きたい

今朝の「遠くへ行きたい:ジミー大西の思い出の万博~大阪府吹田市・豊中市」で佐竹台の交流サロンと博物館の千里ニュータウン展から始まったトンネルアート;今回は岸部のものが紹介されていました。
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ジミー大西さんが虹と竜巻を描きました。
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全体のながれは
旅人は絵描きのジミー大西。思い出の「大阪万博」を振り返り周辺を訪ねる。「太陽の塔」で岡本太郎のメッセージをかみしめ、商店街で地元の人々とふれあい原点に帰る。
大阪府吹田市・豊中市の旅 ▽万博公園・太陽の塔(吹田市千里万博公園) ▽千里ニュータウン(吹田市) ▽岡町商店街(豊中市岡町) ▽桜塚商店街(豊中市曽根西町) ▽けやき堂薬局(豊中市中桜塚) ▽トンネルアート(吹田市岸部) ▽大阪大学医学部付属病院(吹田市山田丘)
(おーぼら)

ワークショップ「水損史料の応急処置実習」

奥村弘先生の講演会につづいて11月6日(土曜)午後3時から講座室で、ワークショップ「水損史料の応急処置実習」がありました。
はじめに歴史資料ネットワークの河野さんがネットワークや水損史料の応急処置の方法の説明をしてくださいました。
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歴史資料ネットワークは歴史研究者や博物館や市民で構成され、阪神淡路大震災から活動を続けてきたボランティア団体です。2004年からは水害被害から資料を守る活動もはじめました。2009年佐用町での水害被害に対しても活動しました。

説明の後、水につかった資料を乾かし、資料を救うやりかたを実習しました。
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おもな作業はキッチンペーパーで水分を取ることなのです。実際は泥水に生活排水も混ざった水につかったものなので、48時間から72時間でカビが生えてくるのでカビへの対策が大切になります。

以下、歴史資料ネットワークのホームページからの抜粋です。

<水害と紙資料>(全史料協防災委編『文書館の防災に向けて』1998より)
・水害は紙資料の水損を生じさせることがあります。
・浸水は下から進行します。
・水分は毛細管現象により紙に吸着します。
・水を完全に吸った紙資料は膨張し、重量も元の数倍になることもあります。
・濡れた紙は非常に柔らかくなり、裂けやすくなっています。
・製本されたものは、のり部分が剥離しやすくなっています。
・48から72時間でカビが生じることがあります。
・そのまま乾燥すると紙の変色や変形が生じます。

<水損資料救助の方法>(同上)
(1)凍結
 ・方法:透明なプラスチック袋またはラップ、フリーズ紙を用意し、納入する。
 ・可能な限りそのままの状態で、凍結させる。
 ・利点:水損資料は、凍結することで紙の変形や文字のにじみ、カビなどを防止できる。
(2)真空凍結乾燥法
 ・方法:完全に凍結した資料を、真空凍結乾燥機に入れ乾燥させる。
 ・利点:紙が再度濡れることなく、凍結状態のまま乾燥する。
 ・欠点:真空凍結乾燥機が普及していない
(3)(凍結)吸水乾燥法
 ・方法:ごく一部またはかすかに湿っている資料に適応する。特に1枚資料。
 ・解凍は処理可能な量だけとし、完全に解凍してから着手する。解凍するときには、吸水紙や高分子吸収剤を敷く。
 ・直射日光の入らない、風通しの良い、温湿度の低い部屋で実施する。
 ・丁間に吸水紙(ろ紙)などをはさみ、状態を見ながら何度も交換をおこなう。
 ・同時に重しをかけて、しわの発生を防ぐ(押し花の方法)
 ・利点:比較的処理単価が安い。
 ・欠点:乾燥に失敗すると、紙の変形や文字のにじみ、カビが生じる。

(おーぼら)

講演会「地域歴史遺産と街づくり-阪神淡路大震災の経験を基礎に」

11月6日(土曜) 午後1時30分から講座室で奥村弘神戸大学教授の「地域歴史遺産と街づくり」という講演会がありました。
画像『地域歴史遺産』という言葉は1995年阪神淡路大震災から使われだした言葉です。

地域社会の危機
兵庫県では阪神淡路大震災以後15年で人口の半分が入れ替わった。農村部では人口減、都市部では人口移動が起こった。この現象は全国各地で起こっている。この現象はコミュニティの解体をもたらし、それは地域文化遺産が守られにくくなっていることを意味する。2000年以後も各地で大きな災害が起きている。災害でで失われた地域文化遺産を守って行くのは地域の人でしかない。しかし地域社会が衰退し、過去から引きつがれてきた地域の文化的所産を引きつぐことが困難になってきている。この現状をふまえて、
文化財・文化遺産とは
内閣府は2004年文化遺産とは「地域の核として認識されている文化遺産であれば、国宝や世界遺産などに限定する必要はない」という考え方になった。文化庁の審議会は今までは「守るべきものを指定」して「指定されたものを守る」方針だったが、2007年に「文化財とは指定されているか否かわ問わず、歴史上あるいは芸術上などの価値の高い、あるいは人々の生活を理解するために必要なすべての文化的所産を指す」と報告書に記した。画像これによって文化財の範囲は一気に広がった。

地域社会が衰退しているなか、阪神淡路大震災以後地震と水害が(ほぼ2年ごとに)多発するようになった。中でも水害が多発している。しかも過去100年間に起きたことのないような水害が起きている。このためさらに地域の歴史遺産が消えている状況だ。
歴史資料ネットワーク
地震発生直後から「歴史資料ネットワーク」が活動を始めている。「地震で建物はこわれたが、まちの歴史は残そう」と考えた人たちが始めたものだ。第一期は地震直後からはじまり、こわれた家から資料を救出する活動だった。マスコミを使って貴重な資料の情報を待ったのだが資料保存を希望する連絡はなかった。そこで95年4月から伊丹市が地域の資料を求めて巡回調査を始めたことを契機として画像以後2年間の巡回調査で段ボール箱1500箱の資料が集まった。

神戸市には戦前の町内会の資料はほとんど存在しない。これこそ地域の核となるような歴史遺産なのだが、住民は「何が歴史遺産として重要なのか、地域の基本的資料とは何か」ということは知らないし知らされていなかった。その意味で阪神間の各地で市民講座を始めた。さらに震災そのものを記録に残す資料収集を始めた。

その後順調に「歴史資料ネットワーク」は進化している。現在全国で10か所を超える「資料ネットワーク」という組織が生まれている。
地域の記憶の継承が困難に
この活動を通して二つのことが問題として浮かんできた。
第一は(教科書から学ぶ)地域の歴史といったとき、「奈良は古代」、「京都は平安時代と幕末」といったように、歴史の一部を切り取って教えられ、イメージしていること。そして第二に、地域の記憶の継承が困難になっていることがある。
画像人口3千万人の江戸時代は全国で8万余の町村があった。そもそもこれが地域社会(ムラ)の基礎なのだ。このムラの面影の記憶がある人はすでに70才代後半になっている。つまりムラの文化継承が難しくなってきてるのだ。

江戸時代に8万余あった町村は明治22年(1889年)に1万5千余になり、こんにち2千以下になっている。明治時代の枠組みは現在の役場支所やコミセンなどの区域として生き残っているし、江戸時代の町村単位は現在の自治会単位として残っている。明治時代の吹田の村(山田・佐井寺・岸部・吹田・垂水・下新田)は巨大だった。(全国的には下新田サイズの村が標準サイズなので吹田の村は巨大だということで)山田・佐井寺・岸部などの各々が自治体だった。その中に(岸部では南・東・七尾など)ちいさなムラがあるのが特色だ。
市民の力量増大
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地域文化(継承)の危機を語ってきたが、希望もある。阪神淡路大震災の経験から、震災そのものを記録するという動きがある。人と防災未来センターには16万点もの資料が集まっている。関東大震災のあとに市民レベルで記録を残すという運動はほとんどなかった。神戸大学付属図書館震災文庫には6万点の文書がありその中には震災を体験した個人の文集や記録がおそらく1万点はあるだろう。文集に執筆した人を合せると執筆した人は10万人を超えるとおもわれる。自分たちの体験をおおやけにして次世代に伝えたいという気持ちがあったからだろう。自分の体験を書いて伝えるという力は関東大震災から阪神淡路大震災までの80年間に日本人のなかに育ってきた力だと考えられ、しかも広く市民の中に育っている。これはあたらしく記録・記憶を後世に伝えていく力だと考える。
震災後のボランティア活動は言うにおよばず、市民の文化活動の自発性・活発化は今までとは違った形で歴史文化を継承していく動きだと思う。姫路市の香寺町(こうでらちょう)では10年間で240名がかかわって「町民が自分たちで書く町史」を作った。通常、市史などは売れないものだが、この町史は完売した。小野市(人口5万人)では2002年から地域の大人と子どもが地域歴史遺産を学びそれを博物館で展示し、図録化する活動をしている。画像これによって子どもたちは博物館の意味を知るようになる。最近では博物館につねに子どもが来るようになって(やかましくなって)いるとのこと。
おわりに
地域社会は危機だ。しかし地域社会は文化がなくては構成されないのだから地域文化はだいじである。このことを知ってみずから活動する人は増えている。この人たちとどのようにして地域を作って行くのかということが求められている。地域文化に関わる関係者が共同して、持続的・組織的な活動が必要で、そのためには博物館や大学、小中高等学校などの関係者の力は大きいだろう。さらに自治会や郷土史を勉強している団体の人の協力も必要だろう。
最近「災害文化」と言われるようになってきた。これは稲村の火にあるように災害に強い社会とは災害の恐ろしさや災害時の対処の方法を引きついできた社会なのだと言える。したがって災害文化を身につけた市民社会でなければ災害に対応できないのだということが防災関係者や自治体の中で言われるようになってきた。
災害文化だけが引きつがれていく社会というものはおそらくないだろう。災害文化を引きつぐことのできる社会は豊かな文化も引きつがれている社会だと言える。
(おーぼら)