スーザン・ボイルの時代と博物館の可能性

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正月ネタということで、ムリヤリ話をつなげてみました。紅白でご覧になりましたか?スーザン・ボイル。彼女の登場は、今回の紅白で一番の「目玉」だったと言ってもいいでしょう。

…彼女は2009年に突然、世界的有名人になったので、スーザン・ボイル?誰それ?という方もいるかもしれません。48歳独身無職。一見、田舎のさえないオバチャンにしか見えない(事実そうだった)スーザン・ボイルが一躍話題になったのは、イギリスの素人オーディション番組に出て、外見からは想像もつかない美声を披露したことからでした。彼女のオーディションの様子はネット動画サイトYouTubeを経由して世界中で1億回以上も!再生され、CDは出るわ日本の紅白には呼ばれるわ…。

つまり「ネットで幸運を掴んだシンデレラ」として彼女の運命は変わったわけですが、ちょっと考えると最初に出たのはテレビのオーディション番組で、かつ年末には紅白に招聘され、「テレビ→ネット→テレビ」というルートで話題が広がったという意味で、スーザン・ボイルはまことに「2009年的」なシンデレラであったと言えるでしょう。彼女の第一ビックリは「外見と美声のギャップ」で、もしテレビだけだったら、スーザン・ボイルはここまで有名になれたかどうか…?(このCD用写真は、かなりおめかししてます。)歌が上手い人はいくらでもいて、田舎のさえないオバチャンで腰を振ったりする人を、デビューさせてやろうというプロデューサーがいたかどうか?YouTubeの驚異的な再生回数という「世論のあとおし」があったからこそ、スーザン・ボイルはCDも出せ、(逆説的だけど)日本のテレビにも出られるぐらい人気が出たのでしょう。歌唱力だけではなく、彼女の「洗練されてないけど人気が出てしまう」人柄は、まさにネット的だった。紅白が彼女を呼んだのは、この一年ネットに押されっぱなしだったテレビ界からの精一杯の反撃のように僕には思えました。

「情報爆発」ということが言われます。ネットがいよいよ生活に浸透し、この10年間で情報量はなんと500倍にもなって、人々は「情報を集める」ことから「情報を捨てる」ことに必死になる時代に突入してしまったとも…。ヤッカイなことに、自分が必要な情報を見つけるためには、いったんは情報を集めないと捨てられない…というジレンマの中を私たちは生きています。

しかし僕は考えるのですが、「増えた情報」って、なんなのか?それがネットの普及によってもたらされたのだとすると、増分の多くはネットから来ていることになります。つまり受け手のほうから考えると、人が一定の時間内に「直接体験できる」情報は増えていない。ネット情報が増えれば増えるほど、見たり、さわったり、直接体験によって得られる情報の価値は相対的に貴重になる…とは言えないでしょうか?

ここ数年、音楽は「ダウンロードして聴くもの」に急速にシフトし、若者はCDという「盤」は買わなくなっていますが、ライブには行っている。ダウンロードか、ライブか。この「両極シフト」を考えると、博物館のあり方も、ネットによる情報発信と、直接何かを体験できることに、可能性を見出すことができるでしょう。

もうひとつ紅白を見ていて思ったことは、曲のサイクルがロングセラーか短期入れ替わりか、やはり両極になっているのでは…ということ(もちろん番組の意向というものがあるにせよ、それを後押しするのは世間です)。レコードがCDになってもう20年あまりたちますが、情報がデジタル化されると保存性が良くなって劣化しにくくなるため、「いいもの、情報として強いものはいつまでも残る」という現象が起きてくる。名曲をいくら聴いても擦り切れなくなるのです。こうなると「新しいもの」は物理的に劣化しない大先輩の中に食い込んでいかねばならないわけですから、大変です。それで一方では「情報サイクルの短期化」が起きるのではないか?つまり「デジタル化」は意外と「過去志向」を強くするところがあります。いや、「過去」も「今」もなくなるのです。40年前の変色した写真でさえ、デジタル修復すると、すごくいきいきとよみがえることは千里ニュータウン展や万博展でも体験しました。この調子で技術が進歩したら、100年前の史料だって、最新のネット情報と同じような感覚で楽しめる日も遠くないのでは?2009年は「歴史ブーム」の年でもありましたが、過去の蓄積の楽しみ方の幅が広がったことも、背景にはあるのではないでしょうか。

素人がシンデレラになり、過去が最新と肩を並べ、「直接体験」の価値が再認識される…。'10年代は、なかなか面白い年代になるのではないでしょうか。

(by okkun)

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