わたしと万博(17-4)…クリエーター・大高猛
大阪はミナミ、宗右衛門町のSという店で、麦焼酎のお湯割りを片手に先生とあのよき時代を語るのが楽しみだった。図々しくも先生のお誘いに甘え、日本のグラフィックデザインの黎明期の話を聞くのはうれしかった。
先生は日本を代表するクリエーター。
亀倉雄策、原弘、永井一正といった蒼々たるアーチストが輩出した時代に片隅で仕事ができたのは夢のようだった。横尾忠則が新人だった時代である。しかし先生は私との次の楽しい話を約束していたのに、5年前に仕事先で亡くなられた。「EXPO’70」の第一号ポスター(1966年)は、大高猛の作品。第2弾、第3弾と手がけられた。その制作意図などを交えながら紹介できたらいいと思っている。
大高先生との痛飲の写真となじみ深い代表作を示し、先生を偲びたい。
(あかちゃん)
先生は日本を代表するクリエーター。
亀倉雄策、原弘、永井一正といった蒼々たるアーチストが輩出した時代に片隅で仕事ができたのは夢のようだった。横尾忠則が新人だった時代である。しかし先生は私との次の楽しい話を約束していたのに、5年前に仕事先で亡くなられた。「EXPO’70」の第一号ポスター(1966年)は、大高猛の作品。第2弾、第3弾と手がけられた。その制作意図などを交えながら紹介できたらいいと思っている。
大高先生との痛飲の写真となじみ深い代表作を示し、先生を偲びたい。
(あかちゃん)


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