わたしと万博(22-1)…新京阪電車P6の引退

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万博の頃を境に阪急京都線から重厚且つ力感溢れる電車P6(*1)が引退した。私は子供のころP6に憧れ、新京阪電車(*2)の運転手になることを夢見ていた。それだけにP6の引退は残念であったが、今から振り返るとあの頃、世の中の表舞台から重厚なモノが引退し始めたようだ。

皮肉なことに当時大阪では年来の悲願であった脱軽工業化、重化学工業化が堺臨海工業地帯で完成に近付いていたが。

(*1)P6は昭和3年生まれ、当時高性能を誇った重量感溢れる名車。晩年は千里線で活躍し、万博の3年後、昭和48年全車廃車。116号の一両のみが正雀車庫で動態保存されている。
(*2)京阪電車が昭和天皇の御大典に間に合わせるべく敷設した大阪・天六と京都・西院を結ぶ新線。現在の阪急京都線。昭和18年に京阪と阪急が合併して京阪神急行新京阪線となり、昭和24年両社が分離する際に阪急に残った。

(kafuku)

※画像はこちらのHPからお借りしました。(by okkun)

この記事へのコメント

okkun
2009年04月28日 23:50
この車両は万博輸送にも大活躍しました。鉄のカタマリのようなあまりにヘビーな車両であったため、千里線延伸の際も造成した盛り土の路盤を固めるために、あえてこの古参車両が引っぱりだされたとのことです。