わたしと万博(42)…酒屋の配達トラックから目撃した未来

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万博は、ちょうど高校に上がった頃だった。父親のカメラをいじらしてもらって、写真に興味が出てきたころだった。北千里の駅前で今もやっているこの酒屋を、父は切り回していた。1969年。すぐ隣りの丘の竹林では万博工事が進んでいて、飯場から配達の注文を受けることがあった。父がトラックを運転し、僕が後ろの荷台に乗って、職権で堂々と工事現場に入っていくことができた。もちろんカメラを持って…。にょきにょきと出来ていく未来都市は、カメラを覚えたての僕には格好の写真素材だった。これはすごいや。夢中で荷台から造りかけのパビリオンを撮った。帰ってきて焼付も自分でやった。
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その頃はベトナム戦争も続いていて、本当は戦争カメラマンになりたいと思っていた。戦争が一番生身の「人間」が出る場所だからだ。しかし近くにあった素材は万博という明るい未来だった。期間中、何度行ったことだろう。独りで行って、歩き回って、撮りまくった。万博のときにたくさん撮ったことが、僕の写真の練習台になった。半年の間にもずいぶん上達したんじゃないかと思う。いまあらためてネガを見ると、建設工事中から会期中、解体工事中の写真もある。やっぱりすごく近かったのだ。高校には万国博西口の駅まで歩いて、土手を歩いて上って電車に乗ったのを覚えている。
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結局父の酒屋をついだが、やがてプロカメラマンと二足のわらじを履くことになった。いまは機材も進歩して、店頭のパソコンで少し前のスタジオなみの編集作業ができる。ハイビジョンのカメラも軽くなった。お店で写真の編集をしながら、お客さんが来れば酒を売るなんてことが本当にできてしまう。あのパビリオンは消えたがすごい時代になったものだ。

(寺西善宏 聞き書きby okkun)
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写真(いずれも寺西さん)
◎上段:建設中の古河パビリオン(伝統工法と全然違うことがわかる)と電力館
◎中段:会期中に「動く歩道」で
◎下段:終了後、解体工事現場

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