わたしと万博(38)…筑豊から遠かった大阪

万博の頃は小学生で九州の筑豊にいた。そのころの筑豊は石炭が斜陽で、みな貧しかった。クラスの子供の1/3の家庭は生活保護を受けていた。そんな町で、万博に行った子供はクラスに一人いるかいないかだった。行ったやつに皆で話を聞いた。そのころはまだ新幹線が東京大阪間しかなかったから、新大阪駅で「ひかり号」を目撃したことが行ったやつの自慢だった。うちに帰って母親に聞いた。「うちは万博行かんね?」母は答えた。「バンパクって、何ね?」

万博の話を聞くと、筑豊のそんな時代を思い出す。行けなかった万博が、僕の万博の思い出だ。
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東京の会社の先輩に07EXPO70の話をしたら、問わず語りに聞かせてくれたのが上の話でした。1970年。高度成長のピークと記憶される年ですが、華やかさと、そうでない部分の落差も(今と違った意味で)ざらりと大きな時代でした。遠くの人たちには、万博へ行くことは一大旅行を意味していました。「一億総中流化」という言葉が出てくるには、あと5年待たなくてはなりません。

(聞き書き by okkun)

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