わたしと万博(45-1)…万国博ホステスうちあけ話

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元・万国博ホステスで、今回の「万博展」市民委員としてお手伝いをするうちにいろいろ当時の記憶がよみがえってきたという遠藤桂子さん…ここぞとばかりにお話を伺いました。

(万博のホステスは、いろいろな方がいらしたんですね?)
はい、私たちは日本万国博覧会協会が募集した、会場全体のご案内などをする「万国博ホステス」でした。英語ができることはベースでしたが、通訳専門のホステスさんもいました。全部で200数十名でしたね。協会のホステスとは別に各パビリオンごとに募集したホステスがあり、募集条件はそれぞれに違いました。制服もいろいろあったんですよ。

(なるのは難しかったんでしょう?)
私は地元の福井県の枠で応募して、福井県からは4名でした。都道府県ごとに枠がありました。試験は筆記、面接、英会話、健康診断…でしたでしょうか。年齢は20-24歳、身長は155cm以上170cm以下…背は高すぎてもダメでした。式典で並んだときにラインが揃わなくなりますからね。体重の規定はありませんでした。

(それは意外ですね?)
面接で見ればわかるからじゃないでしょうか?あるいは容姿の項目に含まれていたかもわかりませんね。皆、今の若い女性ほどは細くありませんでしたよ。
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(親御さんには反対されませんでしたか?)
いいえ、その前から大阪で短大に通っていましたし、父が仕事の関係で単身赴任していて一緒に住んでいましたから…募集要項を見たとき、これは応募するしかないと思いました。短大を出ても大阪にいられるでしょう?…けっきょくそのまま37年居ついてしまいましたが…。

(万国博ホステスのお仕事は?)
会場内に20ヵ所ほどあった「○曜広場」などの案内所で、ご案内をするのが一番多い仕事でした。迷子さんの保護もしました。知事さんなどVIPが来たときの接遇もありました。式典の時には「花を添える」役割もありました。にこやかに立っているということ。「花を添える」なんて、今じゃ女性差別だと思われかねませんが、当時ははっきりガイドブックにそう書いてありました。勤務はローテーションで20ヵ所どこにも行かされました。早番と遅番があって退けたあとにお祭り広場に行くのが楽しみでした。毎日何かやっていましたし、仕事が案内所ですから情報はプリンターから出てきましたから…。

(開会した3月はとても寒かったと聞いていますが…)
とても寒かったです。5月20日頃までが冬の制服でしたが、冬服もミニスカートで…しかもその服装で1月から会場を歩き回らされました!会場を隅から隅まで覚えるため、毎日のように…1月の千里丘陵の寒かったこと!

(制服にコートはなかったのですか?)
コートはありましたけど、それも裾がミニなんですよ!ポンチョみたいな感じで…足はむきだしでした。しかも中にスリップを着てはいけない決まりになっていました。スカートが短いので、裾から見えると美しくないからです。特に閉会式では、皇太子ご夫妻に花を捧げることになっていましたから、腕を上げるとスカートの裾が上がる。ですから特にその日はスリップは禁止でした。

(た、大変だったんですね…)
若かったからもったんでしょうね。退勤のときは一度協会本部まで戻って、私服に着替えて帰ることになっていましたが、本部までは制服で戻りますから、その間にも道を尋ねられます。制服を着ている以上は万国博ホステスとしてふるまわないといけませんから、なかなか本部にたどりつけないこともありました。西口の近くの案内所の番だったとき、上からコートを羽織って阪急の万国博西口の駅からそのまま帰ったこともありましたが…その代わり家まで絶対コートを脱げませんでした。
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(南千里に寮があったのですね)
はい、数年前にマンションに建て替えられてしまいましたが、阪急オアシスの上にあった高層の建物ですね。協会の万国博ホステスだけがそこにいました。全国から集められていましたからね。私は父と一緒に暮らしていましたから寮には入りませんでしたけれど、仲のいいお友達の部屋に遊びに行ったことはあります。

(半円形のバルコニーがついたお洒落な建物でしたね)
お洒落に見えたでしょ?白い壁でね。でも中はとても狭かったですよ!個室でさえありませんでした。2人一部屋で6畳もなかったと思います。洋式のフロアに寝る部分だけ畳が敷いてあって高くなっていて、フシギな造りでした。お風呂も共同だったし…。門限もあって厳しくてね…。家族でも、男の家族だったらなかなか中に入れてもらえなかったんじゃないかしら?万国博ホステスは花形でしたが、当時は質素なものでしたよ。
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(万博後、阪急百貨店の女子寮に転用されましたね。周囲の団地から中が見えるとケシカランことを同級生が言っていたという証言があります)
それはね。ホステスの寮だった頃から注意されていたようですよ。ちゃんとカーテン引きなさいよって。

(数年前には小説「水曜の朝、午前三時」の舞台にもなりました)
それ読んでないんですよ。ノンフィクションなの?…小説なの。
(せつないラブストーリーです。フィクションでしょうけれど設定はリアルに調べてあるようです。新潮文庫で出ています)

(室内の写真があれば貴重ですが…)
私は住んでいませんでしたから…。お友達が持ってるかしら?でも彼女、国際結婚してエルパソに行っちゃったんですよ。メキシコと国境の町。向こうじゃキモノは珍しいから、今でもパーティーのときは振袖でサービスしているようですよ。ずっと向こうにいるので、最近電話で話すと日本語がたどたどしくなって…私は吹田市に37年間ずっと残ってしまいましたけれどね。大好きなのよこのへんが。でもホステスの中にはそういう人もいました。

(素敵な男性はいませんでしたか?)
プレスセンターにいたギリシャの記者がステキでね!胸がときめきました。毎日用もないのに「きょうのイベントの確認をお願いします」なんて見に行ったりしてね。私にできたのはそこまでですよ!

(万博がまたブームなようですね)
わたしずっと夫や子供にも、あまり万博の話はしてこなかったんです。でも37年もたって、こんなに大勢の方が関心を持ってくださるなんて、不思議な気分ですね。母が実家の蔵にホステスの制服をずっとしまっておいてくれて、よかったなあって感謝しています。

(聞き書きby okkun)

この記事へのコメント

okkun
2009年04月26日 02:00
そのうちエルパソ市から中の写真が送られてくるのではないかと期待しております。
もぐら
2009年04月26日 02:00
可愛い制服ですね。情景が目にうかぶような、ほんわかしたうちわけ話、たのしんじゃいました。
てつ
2009年04月26日 02:00
阪急オアシスの上の あのおしゃれな女子寮がそんなに狭いとは知りませんでした
2階に スーパーやら ペットショップやら 食堂があったんですよね~
懐かしいなぁ
okkun
2009年04月26日 02:00
遠藤さんがエルパソに電話をしてくださった「後日談」(補足訂正)を「わたしと万博(45-2)」としてアップしましたのでそちらもご覧ください。
協会の万国博ホステスの中には、VIP接遇専門の「エスコートガイド」と呼ばれる方々がいたそうです。制服はほかの万国博ホステスと同じ。各都道府県から公募された万国博ホステスはミス(未婚)であることが条件だったそうですが、通訳専門とエスコートガイドは既婚でもよかったとのこと…。